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あっても足りないモノ

可愛いは許せる

小学3年生が内博貴に堕ちた話

 記憶が間違っていなければわたしはおよそ6年前、中学校卒業と同時に〝ジャニーズヲタク〟と呼ばれる組織からもきっぱりと卒業した。最後に参戦したコンサートは2011年に年越しに行われた関ジャニ∞の8UPPRERだった気がする。いや、きっとそうだ。そんなことを時間をかけて考えなければ分からないほどこの空白の6年の間、自分自身の壮大なジャニヲタ生活を改めて思い返したことは一度もなかった。これを良い機会として振り返ってみようと思う。

 

 わたしが〝ジャニーズ〟と言う集団を好きになったのは小学2年生だ。きっかけは、親友が持っていた雑誌だった。(後に姉からの借り物だと知った)あの時、彼女何故必要もないモノを大事そうにこっそりとカバンの中に忍び込ませていたのかは疑問に思うが、ソレをペラペラと捲っていき、幼いながらに「格好良い!」と感じたのは〝内博貴〟だった。

 

 そこから熱しやすく極めたがる性格のわたしがジャニーズと言う沼に堕ちていくのは早かった

 

 当時、同じ学年には櫻井担だった親友の他に熱狂的な大野担が1人と相葉担が1人と言う状況だった。もしかしたら気付かなかっただけで何人かいたのかもしれないが、わたし以外は嵐担だった。勿論わたしも好きだった。でも、それ以上に〝内博貴〟が好きだったのだ。

 テレビや雑誌からでも伝わるキラキラとした笑顔と甘い歌声、少しお頭の弱いところ、メンバーが「内、内!」と笑顔で彼を呼ぶ姿。本物の王子様だと思っていた。一瞬一秒も、目を離したくなかった。ただ当時は現在のようにソーシャルネットワークが優れている時代ではなかった。関西圏のテレビを見ることが出来ないことを知って、生まれも育ちも東京の中心だったわたしは本気で関西人になりたいと思ったことがあった。何で自分は関西人じゃないんだ、と悔しくて泣いたこともあった。今となっては良い笑い話だ。(その時は本気だった)

 学校から帰ってランドセルをおろしながらテレビの電源を付け、VHS(懐)をデッキにいれ、少年倶楽部を横目にパソコンを開いて〝裏ジャニ〟を見るのが日課だった。同じ動画を500回以上は見たような気がする。そして母親にも一生懸命説明をした。わたしはこの人が好きだ。と。何回も何回も。

 

    熱狂的に応援するようになってから1年後の小学3年生

        2005年7月16日 ――― 彼が急に芸能界から姿を消した

 

 土曜日だったらしい。その日は何をしていたのか、あまりにも時間が経ち過ぎたせいか何も覚えていない。その時は〝不祥事〟と言う単語の意味すら知らなかったはずだ。そしてどういう偶然か、7月16日は櫻井担であり、わたしに〝内博貴〟と言う存在を教えてくれた親友の誕生日だった。ただ本当にその日のことは何も覚えてない。こうしてブラウン管を越さない彼を一回も見れないままわたしは担当を急に失ったのだ。

 

 それから、輝いて見えていた〝ジャニーズ〟をなんとなく恐いと感じるようになった。この前まで一緒に笑っていた仲間がいなくなったのに、誰も彼のことを口にしなかった。彼が出ていたドラマには違う人が出るようになった。テレビの中の全ての人がまるで彼が最初からいなかったのように振る舞っていた。この世から〝内博貴〟と言う人が消えたような感覚に陥ったときもあった。わたしは一体今まで何を見てきたのだろう、たかが小学3年生のくせに、そんなことまで思った。

 そんな姿を見て〝不祥事〟と言う言葉が〝犯罪〟と言う単語と繋がることを薄々気付き始めた。もしかしら本当はもっと前から知っていたのかもしれない。わたしが〝王子様〟だと信じてやまなかった彼はテレビの中だけだったと言う事実を、認めたくなかったのかもしれない

 

 たった一人の〝王子様〟がテレビの中から消えてまもなく、わたしは日課としていた関ジャニ∞のDVDを見るのを辞めた。学校から帰り、部屋に入った瞬間から始まる〝Excite!!〟と言うDVDだ。それまでは毎日と言っても過言ではないぐらい見ていた映像だった

 

 いつの間にか見れなくなっていた。

 

 話は少し逸れるが、わたしはジャニーズを好きになるまで感情表現が非常に乏しい子供だった。あまり笑わず、怒らず、泣きもしない。両親は「兄とは違い手のかからない子だと」嬉しそうに話す傍ら、「それが故に少し心配だ」とも言っていた。確かに、幼いころの自分の写真や動画を見てみるといつもつまらなそうで何事にも関心を示さない様子が記録されていた。もしかしたら、わたしがジャニーズに興味を持ったきっかけとして自分とは正反対に表情・歌・ダンスで感情を表現出来る彼等に憧れていたからなのかもしれない。

 でも変わったのだ。〝ジャニーズ〟を好きになって、〝内博貴〟を好きになって、初めて心の底から笑顔を見せて、心の底から悲しいと思い涙を流す子供になった。あれだけ何にも興味を示さなかったわたしがこんなに表情を変えながら熱中している、と(今思えばただの沼)両親は相当喜んでいた

 

 ・・・話を戻そうと思う。

 わたしが日課のようにして見ていたDVDを見れなくなってから、表情が再びなくなりつつあったことを母親は気にしていたらしい。しかし本当はそうではなかった。わたしは相当葛藤していた。今まで感じることのなかった感情の起伏と。〝悲しい〟〝切ない〟〝苦しい〟〝もどかしい〟どれかは分からない。でも、毎日のように声を押し殺して泣いていた。それほど〝内博貴〟と言う人物が大好きだった

 

 それから少ししてあの大ヒットドラマ〝野ブタをプロデュース〟が始まった。日本が〝修二と彰〟に包まれていたような気がした。クラスの女の子の中で飛び交う「修二と彰どっちが好き?」と言う言葉。わたしは俄然〝亀梨派〟だけれど〝彰派〟だった。ただ、そんな会話をどこか冷めた気持ちで聞いている自分がいた。

 

 「(・・・もっと前から知っていたのに、)」

 

 小学校3年生にして完全にジャニヲタを拗らせていた。今思えば面倒臭い嫌な奴だ。「じゃぁ、小田切竜と矢吹隼人どっち?」なんて聞いて「ごくせん見てないの?ふーん・・・」と嘗め回すように相手を見る。もう一回言う。面倒臭くて嫌な奴だ。あれほど引っ込み思案で感情を押し殺していたわたしが、同級生から憧れの目を向けられ始めて調子に乗り出した。それまで隅のほうで密かにキャーキャーと騒いでいた櫻井担の親友・熱狂的な大野担・相葉担、そしてわたしは段々中心の人物となっていった

 

 意地でもeighterの内博貴担を貫いていた。

 

 関ジャニ∞は大好きだった。アイドルらしからぬ言動や行動に元気付けられて、舞台上での力強さに感動し、滲み出る仲の良さが大好きだった。パワフルではっちゃけた姿をファンに見せることが出来る彼らが。そのとき大衆の目に映っていたのは7人だとしても、わたしの中での関ジャニ∞はいつも8人だった。ワケもなく7人を見て泣いた日もあった

 

 でもみんなやっぱり嵐が好きだった(笑)

 わたしがどんなに一生懸命ステマをしても、周りは〝関ジャニ∞〟になんて目もくれなかった。むしろ貶されたと言っても良いだろう。不思議だった。あんなに素敵なグループなのにどうしてみんな好きになってくれないのだろう、と。

 

 2006年4月1日ーYOU&Jが発足された

 

 日にちを調べたら小学4年生になった瞬間だったのか、と今初めて知った。そのとき関ジャニ∞は相変わらず7人だった。All Of Me For Youの歌詞のように「そこに彼の姿はなくても世界は簡単に回っていた」。勿論すぐに入った。NEWSもKAT-TUNも大好きだったからわたしにとっては物凄くラッキーだった 

 この時ぐらいになると〝内博貴担〟と名乗りつつも色々な人に目移りしていたのは事実だ。彼が帰ってくることはない、そうも思っていた。でもすぐに事態は急変した

 

 

    内くんとノッティ復帰するって!

      ーーー2006年12月30日の朝はこの一言で起きた。

 

 この日のことは覚えている。わたしは前日からインフルエンザにかかっていて起き上がる気力もなかったのだ。そのくせ朝のニュースを見て興奮している母親(野ブタ辺りからジャニーズにハマりだした)の一言で気怠さが一気に吹き飛んだ。そしてその日のうちに熱が下がった。ただただ凄いと思った。それ以降〝病は気から〟と言うことわざを信じるようになった

 同時に「研修生ってなんだ?」そんな疑問を抱いた。すぐに携帯で調べた。そこには〝ジャニーズjrになる前の段階〟と書かれていてさらに困惑した。そして彼は、関ジャニ∞・NEWSから〝脱退〟したのだ、と知る

 

 そのときなぜか、彼を応援するのはわたし〝しか〟いない、と思った

 

 完全なる再熱。〝内担だ〟と堂々と公言するようになった。持ち物をピンクとプーさんで揃えるようにした。ノートには以前にも増して彼の名前と落書きを沢山残した。口を開けば〝内くん〟だった。わたしの周りは久々に彼一色になり、嬉しくて涙も何回も流したか分からない。彼は今、何してるのだろう、と考えるだけで涙が出た日もあった。だいぶ重く拗らせていた

 

    2007年5月ーYOU&Jから一通のハガキが届いた

           目が飛び出るかと思った。と言うか多分飛び出た

 

 

 今この思いを伝えようとしても表現できる言葉がみつかりません

信頼以外にも失ったものはたくさんあります

何よりも一番に応援してくださったファンの方々です

一日でも早く待っててくれたファンの方々のために

元気な姿を見せれたらと願っています

そんななか、PLAYZONEに出させてもらえる事になり、

チャンスを与えて下さった大先輩少年隊のみなさんには本当に

威謝しております。

一人でも多くの方に見に来てもらい、過去の自分達の姿以上の姿を

見せれるよう頑張ります。

 

                      草野博紀

                      内 博貴

   

 

  予告もなしに届いたハガキだった。泣くってこんなの。二人の名前が書かれていたけれど、全て内博貴の文字だった。文章を考えたのはノッティで文字を書いたのは内くんだったのかもしれない。そんなことはどうでも良い。とにかく線すらない白紙に一生懸命丁寧に書いたんだろうなって言う字がぎっしり詰まっていたことに感動した。

 

 だがしかし誤字!

 

 しかも結構大事な単語。むしろ〝感〟より〝威〟のほうが難しくない?みたいな。でも、それでもこそ〝内博貴〟だと思ってしまった。好きだ、と。少しの間目移りしてしまっていたわたしを許してほしい、とも思った。(今思えば原因を作った彼が悪いのだけれど)長年、この手紙はわたしのカバンの中にお守り代わりとしていれていた。

 

 

    そして遂に

      2007年7月9日ーーーPLAYZONE'07 Change2Chance

 

  わたしはやっとこの目で実際に彼を見ることが出来た。

 本当に輝いていた。その当時なら言いたかったことはもっとあったかもしれないが本当に〝王子様〟そのものだった。もう一生恋なんて出来ない、とまでも思った。PLAYZONEは全3公演行った。見事に泣かない公演はなかった。この先一度も見れないだろうと諦めてた彼がわたしの目の前で笑い、歌い、踊り、泣いていた。その顔は少し強張っていて不安そうで、見えない〝何か〟と闘っているような表情だった

 それから学校に行ってもわたしは〝内博貴〟のことしか考えられなった。ノートの端に書いてある落書きはさらに増えたし、ピンクの持ち物も増えた。カバンには相変わらずハガキを忍ばせて、夢に出てきた彼を勝手に再びさらに好きになったりもした

 

         2007年8月5日 東京ドーム

       ーーー突然 関ジャニ∞が8人で ステージに立った。

 

 今でもわたしにとってこの日は記念日であり、忘れられない日になっている。

 急に目の前で起こっている事実が信じられなかった。1ヶ月で2回も彼を見れるなんて〝奇跡〟だ、と。こんなことを言って良いのか分からないがわたしはこのとき、誰が見ても内担だと分かる服を着ていた。Wアンコール、彼が元シンメであり、親友の錦戸亮に引っ張られるようにして舞台上に上がった瞬間、隣の女性に「良かったね!内くんだよ!」と言われた。そのとき既にわたしの涙腺は崩壊していてうまく返事を返すことは出来なった

 

 これこそ、〝一生〟見れない光景だと思っていた

 

 恥ずかしいけれどこの日、わたしは抱えられるようにして東京ドームを出た。ほとんど過呼吸の状態だった。彼らがどう言う表情でどんな話をしたのか、全く覚えていないのだ。周りの人からすれば相当酷い状態だっただろう。でもわたしはそれほど彼が、8人の関ジャニ∞が好きだった。あの空気が、みんなが彼を見て「内!」と呼びながらニッコニコと笑っている姿をずっと待っていた。

 

 時が止まれば良いのに、とあれほど切実に思ったのはきっと最初で最後だろう。

 

 次の日、わたしは起きることが出来ずに学校に行けなかった。両親は笑っていた。「あんなに泣いた姿を見たのは生まれた日以降初めてだ」と。少し呆れてもいたんだろう。そして、火曜日学校に行った瞬間みんなに「良かったね!」と言われた。素直に嬉しかった。内博貴が自分とイコールで繋がっているような気がして。 

 

    2007年はわたしにとって最も特別な年になった。

 

 それから幸せが待っている、と思った。けれど実際はそうじゃなかった。わたしが最終的に望んでいたのは〝内博貴〟が〝関ジャニ∞〟〝NEWS〟のメンバーとして復帰することだった。関ジャニ∞と比例するように一気に露出が増えた彼はてっきりグループとしての活動が出来るものだと信じてやまなかった。2008年、関ジャニ∞が24時間テレビの番組パーソナリティーに任命されたときには「あぁ、復帰発表するんだな」と思ったし年越しカウントダウンの単独が決まった際も同じことを思った

 

 その発表はいつまでたってもされることはなかった。

 そろそろ来るだろう、そろそろ来るだろう、と機会を伺って2年が過ぎた

 

 最初は良かった。彼が一人でも歌って踊って演じるのを見るのが幸せだった。単独ライブも勿論行った。でもどこか心の奥底でいつも何かが物足りないと感じることが多くなっていた。恐らくわたしは何よりグループ活動をする彼を望んでいた。いつでも復帰の最終地点は〝グループ復帰〟だった。〝関ジャニ∞〟兼〝NEWS〟の〝内博貴〟が見たかった

 そう思ってしまったわたしはまだ子供だったのかもしれない。今なら、彼自身を応援出来たのかもしれない。エイトのコンサートではいつ彼が帰ってきました!となっても良いように毎回「内」と書かれた団扇をカバンに忍ばせていたし、またヒョイッとステージに上がるかもしれない、と思ってた。

 

強く願うもう一度あの場所で
君と過ごす時間を下さい
また夢を見るんだ
互いに笑い合い
手と手合わせ
幸せそうな場面を紡ぎ出す

    虹色の空へ :// 内博貴        

 

 わたしはこの〝もう一度あの場所で〟の意味を履き違えてた。

 

これからの僕を見て
ついて来て欲しい
約束するよ
この手を離さない
人生の足跡なら
胸の奥にそっと

    虹色の空へ :// 内博貴

 

 〝人生の足跡を胸の奥にそっと〟しまってしまう彼を見たくなかった。

 

 わたしはファン失格だった。〝内博貴〟の〝う〟の字も彼のことを何も分かってあげられなかった。〝関ジャニ∞〟で守られていた内博貴も〝NEWS〟を引っ張っていた内博貴もいなかった。そこにいたのは前だけを見据えた強い彼で、わたしはいつまでたっても進むことの出来ない弱虫だった。

 

     2012年1月1日 京セラドーム

      COUNT DOWN LIVE 2011-2012

 

 この時、わたしは所謂〝ジャニヲタ〟と呼ばれるような生活は送ってはいなかった。実際内くんを最後にこの目で見たのはこの年より2年も前の2010年に行われた〝ガイズ&ドールズ〟だった。生粋のヲタク気質があるらしいわたしは小学校卒業直前で韓流にハマり、ジャニーズからK-POPに趣向を変えた。何人にも裏切りだと笑われた。この時はふんわりと、好きだった。そんな程度だ

 

     〝内くんが大画面に映った瞬間、歓声が凄かった〟

      〝エイトが、嬉しそうに内くんの名前を呼んでいた〟

 

 そんなレポートがたっくさん流れてきた。あぁ、そうか。気付いた時にはもう、みんな前を向いていた。少し前のわたしがこの場にいたのならもしかしたらきっと泣き崩れていたかもしれない。と思った。〝嬉しさ〟と言うよりかは〝悲しみ〟で、だ。

 わたしは7人の関ジャニ∞〟が〝内博貴〟と言う名前をあからさまに避けていたときしか知らないのだ。東京ドームで8人になった日。彼が錦戸亮とドラマが決まった日。彼らは大胆ながらもどこかよそよそしく、誰かの目を盗むようにして慎重に名前を呼んでいた。それでいてどこか少し安心感もあった。〝内博貴〟と言う名前がテレビから消えた日のような冷たさではなく。お互いがお互いを気にしていることが〝元メンバー〟だと言っているような。わたしの乏しい文章力では伝えられない、距離が彼等にはあった。それはいつかサプライズ!と言って〝復帰〟してしまうような、そんな距離だった

 

    だから、わたしは知らなかった

 

 彼らが、まるで違うグループかのように、誰の目も気にせずに大声で彼の名前を呼んでいる姿を。確実に進んでいた。〝内博貴〟も。〝関ジャニ∞〟も、〝NEWS〟も、だ。〝グループで復帰してほしい〟なんて考えをしているわたしはもういつからか蚊帳の外にいたのだ。幼稚で、恥ずかしいと思った。こうして、わたしの長い長い〝ジャニヲタ生活〟は呆気なく幕をおろしたのだった。

 

 そして何故、いま10000字近くに及ぶ文字を長々と書いているのかと言うと...

ジャニーズの沼ってふっけぇ!

 

 つまるところ再熱!

 あれからハマりやすく極めたがる性格のわたしは遂に韓国語をマスターすべく韓国の大学へ入学。だがしかしBUT!同じ学科の友達2人が元ジャニヲタ。そして〝まいジャニ〟を見せられた結果ことごとく堕ちていきました。Welcome To 沼☆って感じで。えぇ。

 久々に少クラを漁ってみればわたしが分かるのは〝文ちゃん、室弟(と呼んでいた)、ムエタイ弟(と呼んでいた)、丈一郎、真鳥、SNOWMAN、SixTONESLOVE-TUNE(真田・安井・森田・萩谷)、TRAVIS JAPAN(年上組)、増田良〟ぐらいだった。えっ!あの子いないのこの子いないの、とパニックになったのも無理はない。只今jrに熱を上げています。

 

    とりあえず、担当とかいないけど一番推してるのは

    諸星翔希 です。(えっ、そこ?ってツッコミ100回ぐらい受けた)

 

 ブログは見る専(ヲタ時代1000件は見た気がする)でずっと書きたい憧れはあったから今ちょっとウキウキしてる...!やりかたよく分らんけど…!徐々に頑張る。って感じで。結局何が伝えたいかと言うと今ジャニーズjrにハマってるある意味新規ですよ!っと。お疲れ様です!